詩經疾書 01 02 05甘棠

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蔽芾甘棠 勿翦勿伐 召伯所茇 (甘棠-01)
蔽芾甘棠 勿翦勿敗 召伯所憩 (甘棠-02)
蔽芾甘棠 勿翦勿拜 召伯所說 (甘棠-03)
 
 


甘棠

《召旻》云: “有如召公, 日闢國百里.” 此實事也. 召公之於南國, 必有如此者, 不獨巡宣而已. 必將承文王之化, 霈如時雨, 莫不歸順也. 以此推之, 分陝東西, 亦必是二公創闢之功也與?

懷惠之未深者, 始切而漸疏, 至大惠浹骨, 逾遠而益慕. 故召伯所歷, 其舍止遊息稅駕之地, 雖樹木微物, “始也勿剪”, “終也勿拜”, 則勿剪不須言也. 此詩人之善形也. 由是推之, 其德業功績置不論, 至於言爲、動靜、好惡、取舍、飮食、服飾之末, 必將僾然於著存. “嗚呼, 先王不忘”, 此之謂與? “勿拜”者, 謂新長之幹, 扳而揉之, 則不復植長而高大也.

《韓詩外傳》: “召伯在朝, 有司請營召以居. 召伯曰: ‘以一身而勞百姓, 非吾先君文王之志也.’ 於是出而就蒸庶於阡陌隴畝之間聽斷焉. 暴處遠野, 廬於樹下, 百姓大悅, 耕桑者倍力以勸, 於是歲大稔.” 此所謂“以身先之”. 若廣營宮室安居逸豫, 而但以言語勞慰, 民未必興動. 聖世之臨民蓋如此.