잡학변

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원문

제요

臣等謹案: <雜學辨>一卷, 附<記疑>一卷, 宋朱子撰, 以斥當代諸儒之雜於佛老者也. 凡蘇軾<易傳>十九條、蘇轍<老子解>十四條、張九成<中庸解>五十二條、吕希哲<大學解>四條, 皆摘錄原文, 各為駁正於下. 末有乾道丙戌何鎬跋, 鎬字京叔, 何兊之子. 丙戌為乾道二年, 朱子三十七嵗, 監嶽廟, 家居時也. <記疑>一卷, 前有朱子題辭, 稱"偶得雜書一冊, 不知何人所記. 懼其流傳久逺, 上累師門"云云, 盖程子門人記錄師説, 傳以己意因而流入二氏者, 亦摘錄而與之辨, 凡二十條. 其書作於淳熙二年丙申三月, 朱子方在婺源, 距作<雜學辨>時十年矣. 後人附刻<雜學辨>後以類相從, 今亦仍舊本錄之焉. 乾隆四十六年十月恭校上

잡학변雜學辨

소씨역해蘇氏易解

乾之彖辭, 發明性命之理, 與<詩>烝民維天之命、<書>湯誥大誓、<中庸>、<孟子>相表裏, 而大傳之言亦若符契. 蘇氏不知其說, 而欲以其所臆度者言之. 又畏人之指其失也, 故每為不可言、不可見之説, 以先後之務為閃倐滉漾不可捕捉之形, 使讀者茫然, 雖欲攻之而無所措其辨, 殊不知性命之理甚明! 而其為說至簡, 今將言之, 而先曰: "不可言'; 既指之而又曰: "不可見", 足以眩夫未嘗學問之庸人矣. 由學者觀之, 豈不適所以為未嘗見、未嘗知之驗哉! 然道衰學絶, 世頗惑之, 故為之辨以待後之君子. 而其它言死生鬼神之不合者, 亦并附焉.

1. 건괘 단전

"大哉乾元! 萬物資始, 乃統天."
蘇曰: "此論元也. 元之為徳, 不可見也; 所可見者, '萬物資始'而已. 天之徳, 不可勝言也; 惟是為能統之."

愚謂: "四徳之元, 猶四時之春、五常之仁, 乃天地造化發育之端、萬物之所從出. 故曰: '萬物資始', 言取其始於是也. 存而察之心目之間, 體段昭然, 未嘗不可見也. 然惟知道者, 乃能識之. 是以蘇氏未之見耳. 不知病此, 顧以己之不見為當然, 而謂真無可見之理, 不亦惑之甚與!"


"雲行雨施, 品物流形."
蘇曰: "此所以為亨也."
"大明終始, 六位時成, 時乘六龍以御天."
蘇曰: "此所以為利也."

愚謂: "此言聖人體元亨之用, 非言利也."


"乾道變化, 各正性命, 保合大和."
蘇曰: "此所以為貞也."

愚謂: "此兼言利貞, 而下句結之也."


"乃利貞."
蘇曰: "并言之也."

愚謂: "此結上'乾道變化, 各正性命, 保合大和'之文. 與'大明終始, 六位時成, 時乘六龍以御天'不相蒙. 蘇氏之說, 亦誤矣."

蘇曰: "正, 直也; 方其變化, 各之於情, 無所不至. 反而循之, 各直其性, 以至於命. 此所以為貞也."

愚謂: "品物流形, 莫非乾道之變化, 而於其中物各正其性命, 以保合其大和焉. 此乾之所以為利且貞也. 此乃天地化育之源. 不知更欲反之於何地, 而又何性之可直, 何命之可至乎? 若如其説, 則'保合大和'一句, 無所用矣."

蘇曰: "古之君子患性之難見也. 故以可見者言性. 以可見者言性, 皆性之似也."

愚謂: "古之君子, '盡其心, 則知其性矣', 未嘗患其難見也. 其言性也, 亦未嘗不指而言之, 非但言其似而已也. 且夫性者, 又豈有一物似之而可取此以况彼耶? 然則蘇氏所見, 殆徒見其似者, 而未知夫性之未嘗有所似也."

蘇曰: "君子日修其善, 以消其不善. 不善者日消, 有不可得而消者焉. 小人日修其不善, 以消其善. 善者日消, 有不可得而消者焉. 夫不可得而消者, 堯舜不能加焉, 桀紂不能逃焉. 是則性之所在也."
又曰: "性之所在, 庶幾知之, 而性卒不可得而言也."

愚謂: "蘇氏此言最近於理. 前章所謂'性之所似', 殆謂是耶! 夫謂'不善日消而有不可得而消'者, 則疑若謂夫本然之至善矣; 謂'善日消而有不可得而消'者, 則疑若謂夫良心之萌蘖矣. 以是為性之所在則似矣, 而蘇氏初不知性之所自來、善之所從立, 則其意似不謂是也, 特假於浮屠'非幻不滅, 得無所還'[1]者而為是説, 以幸其萬一之或中耳. 是將不察乎繼善成性之所由、梏亡反覆之所害, 而謂'人與犬牛之性無以異'也, 而可乎? 夫其所以重歎性之不可言, 蓋未嘗見所謂性者. 是以不得而言之也."

蘇曰: "聖人以為猶有性者存乎吾心, 則是猶有是心也. 有是心也, 偽之始也. 於是又推其至者, 而假之曰命. 命, 令也. 君之命曰令; 天之令曰命. 性之至者, 非命也, 無以名之, 而寄之命耳."

愚謂: "蘇氏以'性存於吾心'則為'偽之始', 是不知性之真也. 以'性之至者, 非命而假名之', 是不知命之實也. 如此則是人生而無故有此大偽之本, 聖人又為之計度隱諱、偽立名字以彌縫之, 此何理哉? 此蓋未嘗深考夫<大傳>、<詩>、<書>、<中庸>、<孟子>之説, 以明此章之義, 而溺於釋氏'未有天地, 已有此性'之言, 欲語性於天地生物之前, 而患夫命者之無所寄, 於是為此説以處之, 使兩不相病焉耳. 使其誠知性命之説矣, 而欲語之於天地生物之前, 盖亦有道, 必不為是支離淫遁之辭也."

蘇曰: "死生壽夭, 無非命者, 未嘗去我也, 而我未嘗覺知焉. 聖人之於性也至焉, 則亦不自覺知而已矣. 此以為命也."
又曰: "命之與性, 非有天人之辨也. 於其不自覺知, 則謂之命."

愚謂: "如蘇氏之説, 則命無所容; 命無所容, 則聖人所謂至命者, 益無地以處之. 故為是説以自迷罔, 又以罔夫世之不知者而已, 豈有命在我而不自覺知而可謂之聖人哉! 蘇氏又引<文言>'利貞性情'之文, 傅㑹其説, 皆非經之本㫖, 今不復辨."


"首出庶物, 萬國咸寧."
蘇氏云云.

愚謂: "此言聖人體利貞之徳也. 蘇氏説無病, 然其於章句, 有未盡其説者."

계사상

"一陰一陽之謂道. 繼之者善也, 成之者性也."
蘇曰: "陰陽果何物哉? 雖有婁曠之聰明, 未有能得其髣髴者也. 陰陽交然後生物, 物生然後有象, 象立而陰陽隱. 凡可見者, 皆物也, 非陰陽也. 然謂陰陽, 為無有可乎? 雖至愚知其不然也. 物何自生哉? 是故指生物而謂之陰陽, 與不見陰陽之髣髴而謂之無有, 皆惑也."

愚謂: "陰陽盈天地之間, 其消息闔闢、終始萬物, 觸目之間有形無形, 無非是也. 而蘇氏以為'象立而陰陽隱. 凡可見者, 皆物也, 非陰陽也', 失其理矣. 達陰陽之本者, 固不指生物而謂之陰陽, 亦不别求陰陽於物象見聞之外也."

蘇曰: "聖人知道之難言也. 故借陰陽以言之曰: '一陰一陽之謂道'. '一陰一陽'者, 陰陽未交而物未生之謂也, 喻道之似, 莫宻於此者矣. 陰陽一交而生物, 其始為水. 水者, 無有之際也, 始離於無而入於有矣. 老子識之, 故其言曰: '上善若水'[2]." 又曰: "水幾於道. 聖人之徳, 雖可以名而不囿於一物. 若水之無常形, 此善之上者幾於道矣, 而非道也. 若夫水之未生, 隂陽之未交, 廓然無一物, 而不可謂之無有, 此真道之似也."

愚謂: "一隂一陽, 往來不息, 舉道之全體而言, 莫著於此者矣. 而以為'借隂陽以喻道之似', 則是道與隂陽, 各為一物, 借此而况彼也. 隂陽之端, 動靜之機而已. 動極而靜, 靜極而動, 故隂中有陽, 陽中有隂, 未有獨立而孤居者. 此一隂一陽所以為道也. 今曰: '一隂一陽者, 隂陽未交而物未生, 廓然無一物, 不可謂之無有者, 道之似也.' 然則道果何物乎? 此皆不知道之所以為道, 而欲以虛無寂滅之學揣摸而言之. 故其說如此."

蘇曰: "隂陽交而生物, 道與物接而生善. 物生而隂陽隱, 善立而道不見矣. 故曰: '繼之者善也, 成之者性也. 仁者見道而謂之仁; 智者見道而謂之智.' 夫仁、智, 聖人之所謂善也. 善者道之繼而指以為道, 則不可. 今不識其人而識其子, 因之以見其人則可; 以謂其人則不可. 故曰: '繼之者善也.' 學道而自其繼者始, 則道不全."

愚謂: "'繼之者善', 言道之所出無非善也, 所謂元也. 物得是而成之, 則各正其性命矣, 而所謂道者, 固自若也. 故率性而行, 則無往而非道, 此所以天人無二道, 幽明無二理, 而一以貫之也. 而曰: '隂陽交而生物, 道與物接而生善, 物生而隂陽隱. 善立而道不見, 善者道之繼而已. 學道而自其繼者始, 則道不全', 何其言之繆耶! 且道外無物, 物外無道. 今曰: '道與物接', 則是道與物為二, 截然各据一方, 至是而始相接也, 不亦繆乎!"

蘇曰: "昔者孟子以為性善, 以為至矣, 讀<易>而後知其未至也. 孟子之於性, 蓋見其繼者而已矣. 夫善, 性之效也. 孟子未及見性, 而見其性之效, 因以所見者為性, 猶火之能熟物也, 吾未見火, 而指天下之熟物以為火. 夫熟物則火之效也."

愚謂: "孟子道性善, 蓋探其本而言之, 與<易>之㫖未始有毫髮之異, 非但言性之效而已也. 蘇氏急於立說, 非特不察於<易>, 又不及詳於孟子. 故其言之悖如此."

蘇曰: "敢問性與道之辨." 曰: "難言也, 可言其似. 道之似, 則聲也; 性之似, 則聞也. 有聲而後聞耶, 有聞而後聲耶? 是二者果一乎, 果二乎? 孔子曰: '人能弘道, 非道弘人.' 又曰: '神而明之, 存乎其人.' 性者, 所以為人者也, 非是無以成道矣."

愚謂: "子思子曰: '率性之謂道.' 邵子曰: '性者, 道之形體也.' 與<大傳>此章之㫖相為終始, 言性與道, 未有若此言之著者也. 蘇氏之言曲譬巧喻, 欲言其似而不可得, 豈若聖賢之言直示而無隱耶? 昔孔子順謂公孫龍之辨, 幾能令臧三耳矣. 然謂兩耳者甚易而實是也, 謂三耳者甚難而實非也.[3] 將從其<易>而是者乎, 將從其難而非者乎? 此言似之矣."


"仁者見之謂之仁; 知者見之謂之智. 百姓日用而不知, 故君子之道鮮矣."
蘇曰: "屬目於無形者, 或見其意之所存. 故仁者以道為仁, 意存乎仁也; 知者以道為智, 意存乎智也. 賢者存意而妄見, 愚者日用而不知. 是以君子之道, 成之以性者鮮矣."

愚謂: "蘇氏不知仁智之根於性, 顧以仁智為妄見, 乃釋老之説. 聖人之言, 豈嘗有是哉? 謂之不見其全, 則或可矣. 又曰: '君子之道, 成之以性者鮮矣', 文義亦非."


"原始反終, 故知死生之說."
蘇曰: "人所以不知死生之説者, 駭之耳. '原始反終', 使之了然而不駭也."

愚謂: "人不窮理, 故不知死生之説; 不知死生之説, 故不能不駭於死生之變. 蘇氏反謂由駭之而不知其説, 失其指矣. 窮理者, 原其始之所自出, 則知其所以生; 反其終之所由歸, 則知其所以死. 夫如是, 凡所以順生而安死者, 蓋有道矣. 豈徒以了然不駭為奇哉? 蘇氏於'原始反終'言之甚略, 無以知其所謂. 然以'不駭'云者驗之, 知其溺於坐亡立化、去來自在之説以為奇, 而於聖人之意則昧矣."


"精氣為物, 遊魂為變, 是故知鬼神之情狀."
蘇曰: "物, 鬼也; 變, 神也. 鬼常與體魄俱, 故謂之物; 神無適而不可, 故謂之變. 精氣為魄, 魄為鬼志, 氣為魂, 魂為神. 故禮曰: '體魄則降, 知氣在上.'[4] 鄭子産曰: '其用物也宏矣; 其取精也多矣.'[5] 古之達者已知此矣. 一人而有二, 知無是道也. 然而有魄者有魂者, 何也? 衆人之志, 不出於飲食男女之間與凡養生之資, 其資厚者其氣彊, 其資約者其氣微. 故氣勝志而為魄. 聖賢則不然, 以志一氣, 清明在躬, 志氣如神, 雖祿之天下, 窮至匹夫, 無所損益也. 故志勝氣而為魂. 衆人之死為鬼, 而聖人為神, 非有二致也, 志之所在者異也."

愚謂: "精聚則魄聚, 氣聚則魂聚. 是以為人物之體, 至於精竭魄降, 則氣散魂遊而無不之矣. 降者, 屈而無形, 故謂之鬼; 遊者, 伸而不測, 故謂之神. 人物皆然, 非有聖愚之異也. 孔子答宰我之問, 言之詳矣.[6] 蘇氏蓋不考諸此而失之子産之言, 是或一道而非此之謂也."

소황문노자해蘇黄門老子解

蘇侍郎晚為是書, 合吾儒於老子, 以為未足, 又并釋氏而彌縫之, 可謂舛矣. 然其自許甚高, 至謂: '當世無一人可與語此者.' 而其兄東坡公亦以為'不意晩年見此竒特. 以予觀之, 其可謂無忌憚者與!' 因為之辨. 而或者謂: '蘇氏兄弟以文義贊佛乘, 蓋未得其所謂. 如<傳燈錄解>之屬, 其失又有甚焉, 不但此書為可辨也.' 應之曰: '予之所病, 病其學儒之失而流於異端, 不病其學佛未至而溺於文義也. 其不得已而論此, 豈好辨哉? 誠懼其亂吾學之傳而失人心之正耳. 若求諸彼而不得其説, 則予又何暇知焉?'

蘇曰[7]: "孔子以仁義禮樂治天下, 老子絶而棄之. 或者以為不同. <易>曰: '形而上者謂之道, 形而下者謂之器.'"

愚謂: "道、器之名雖異, 然其實一物也. 故曰: '吾道一以貫之.' 此聖人之道所以為大中至正之極, 亘萬世而無𡚁者也. 蘇氏誦其言, 不得其意, 故其為説無一辭之合. 學者於此先以予説求之, 使聖人之意曉然無疑, 然後以次讀蘇氏之言其, 得失判然矣."

"孔子之慮後世也深, 故示人以器而晦其道."

愚謂: "道、器一也, 示人以器, 則道在其中. 聖人安得而晦之? 孔子曰: '吾無隱乎爾.'[8] 然則晦其道者, 又豈聖人之心哉? 大抵蘇氏所謂道者, 皆離器而言, 不知其指何物而名之也."

"使中人以下守其器, 不為道之所眩, 以不失為君子."

愚謂: "如蘇氏此言, 是以道為能眩人而使之不為君子也, 則道之在天下, 適所以為斯人之禍矣."

"而中人以上自是以上達也."

愚謂: "聖人所謂達, 兼本末、精粗而一以貫之也. 蘇氏之所謂達, 則舍器而入道矣."

"老子則不然, 志於明道而急於開人心."

愚謂: "老子之學, 以無為為宗. 果如此言, 乃是急急有為, 惟恐其緩而失之也. 然則老子之意, 蘇氏亦有所不能窺者矣."

"故示人以道而薄於器, 以為學者惟器之知, 則道隱矣, 故絶仁義、棄禮樂以明道."

愚謂: "道者, 仁義禮樂之摠名; 而仁義禮樂, 皆道之體用也. 聖人之修仁義、制禮樂, 凡以明道故也. 今曰: '絶仁義、棄禮樂以明道', 則是舍二五而求十也, 豈不悖哉!"

"夫道不可言, 可言者皆其似者也. 達者, 因似以識真; 而昧者, 執似以䧟於偽."

愚謂: "聖人之言道, 曰: '君臣也、父子也、夫婦也、昆弟也、朋友之交也.'[9] 不知此言道邪, 抑言其似者而已耶? 執此而行, 亦有所䧟者耶? 然則道豈真不可言? 但人自不識道與器之未嘗相離也, 而反求之於昏黙無形之中, 所以為是言耳."

"故後世執老子之説以亂天下者有之, 而學孔子者無大過."

愚謂: "善學老子者如漢文、景、曹參, 則亦不至亂天下. 如蘇氏之説, 則其亂天下也必矣. 學孔子者, 所得亦有淺深、有過無過, 未可概論. 且如蘇氏非不讀孔子之書, 而其著書立言以惑悞天下後世如此, 謂之無過, 其可得乎?"

"因老子之言以達道者不少, 而求之於孔子者常苦其無所從."

愚謂: "'因老子之言以達道者不少', 不知指謂何人? 如何其達? 而所達者何道也? 且曰: '不少', 則非一二人而已, 達道者果如是之衆耶? 孔子循循善誘, 誨人不倦, 入德之途, 坦然明白, 而曰: '常苦其無所從入', 則其未嘗一日從事於此, 不得其門而入可知矣, 宜其析道與器, 而以仁義禮樂為無與於道也. 然則'無所從入'之言, 非能病孔子之道而絶學者之志, 乃所以自狀其不知道而妄言之實耳."

"二聖人者, 皆不得已也."

愚謂: "以孔子、老聃並稱聖人, 可乎? 世人譏太史公先黄老後六經. 然太史公列孔子於<世家>而以老子與韓非同傳, 豈不有微意焉? 其賢於蘇氏遠矣."

"全於此, 必略於彼矣."

愚謂: "有彼有此, 則天下常有二道也."

蘇氏後序[10]云: "六祖所云: '不思善, 不思惡'[11], 即喜怒哀樂之未發也."

愚謂: "聖賢雖言未發, 然其善者固存, 但無惡耳. 佛者之言似同而實異, 不可不察."

又云: "蓋中者, 佛性之異名; 而和者, 六度萬行之摠目也."

愚謂: "'喜怒哀樂而皆中節謂之和. 而和者, 天下之達道也.' '六度萬行', 吾不知其所謂, 然毁君臣、絶父子, 以人道之端為大禁, 所謂達道固如是耶?"

又云: "天下固無二道, 而所以治人則異. 君臣、父子之間, 非禮法則亂; 知禮法而不知道, 則世之俗儒, 不足貴也. 居山林, 木食澗飲而心存至道, 雖為人天師可也, 而以之治世則亂. 古之聖人, 中心行道而不毁世法, 然後可耳."

愚謂: "'天下無二道'而又有'至道'、'世法'之殊, 則是有二道矣. 然則道何所用於世, 而世何所資於道耶? 王氏有'高明處己, 中庸處人'之論, 而龜山楊公以為'如此則是道常無用於天下, 而經世之務皆私智之鑿', 愚於蘇氏亦云."

장무구중용해張無垢中庸解無垢本佛語, 而張公子韶侍郎之别號也. 張公以佛語釋儒書, 其跡尤著. 故正其名如此.

張公始學於龜山之門, 而逃儒以歸於釋. 既自以為有得矣, 而其釋之師語之曰: "左右既得欛柄入手, 開導之際, 當改頭換面, 隨宜説法, 使殊途同歸, 則世出、世間兩無遺恨矣. 然此語亦不可使俗輩知, 將謂實有恁麼事也."見<大慧禪師與張侍郎書>. 今不見於<語錄>中, 蓋其徒諱之也. 用此之故, 凡張氏所論著, 皆陽儒而隂釋. 其離合出入之際, 務在愚一世之耳目而使之恬不覺悟, 以入乎釋氏之門, 雖欲復出而不可得. 本末指意, 略如其所受於師者. 其二本殊歸, 蓋不特莊周出於子夏, 李斯原於荀卿而已也. 竊不自揆, 嘗欲為之論辨, 以曉當世之惑. 而大本既殊, 無所不異. 因覽其<中庸説>, 姑掇其尤甚者什一二著于篇, 其他如<論語>、<孝經>、<大學>、<孟子>之説, 不暇遍為之辨. 大抵忽遽急迫, 其所以為説, 皆此書之類也.

1장

"天命之謂性, 率性之謂道, 修道之謂教."
張云: "'天命之謂性', 第贊性之可貴耳, 未見人收之為己物也. '率性之謂道', 則人體之為己物, 而入於仁義禮智中矣. 然而未見其施設運用也. '修道之謂教', 則仁行於父子, 義行於君臣, 禮行於賔主, 知行於賢者, 而道之等降隆殺, 於是而見焉."

愚謂: "'天命之謂性', 言性之所以名, 乃天之所賦、人之所受、義理之本原, 非但'贊其可貴'而已. 性亦何待於人贊其貴耶? 董子曰: '命者, 天之令也; 性者, 生之質也.'[12] 此可謂庶㡬子思之意, 而異乎張氏之言矣. 且既謂之性, 則固已自人所受而言之, 今曰: '未為己物', 則是天之生是人也, 未以此與之而置之他所, 必是人者自起而收之, 而後得以為己物也. 不知未得此性之前, 其為人也孰使之呼吸食息於天地之間, 以收此性? 且夫性者, 又豈塊然一物寓於一處, 可摶而置之軀殻之中耶? 仁義禮智, 性之所有, 與性為體者也. 今曰: '體為己物, 然後入於仁義禮智之中', 則是四者逆設於此, 而後性來於彼也. 不知方性之未入也, 是四者又何自而來哉? 凡此皆不知大本、妄意穿鑿之言. 智者觀之, 亦不待盡讀其書, 而是非邪正已判於此章矣. '仁行於父子, 義行於君臣, 乃是率性之道', 而遽以為'修道之教', 亦失其次序矣."


"是故君子戒愼乎其所不睹愼其獨也."
張云: "'不睹不聞', 少致其忽, 宜若無害矣. 然而怠忽之心已顯於心目之間云云. 不足以感人動物而招非意之辱, 莫為之禍焉. 此君子所以愼其獨也."

愚謂: "君子所以愼其獨者, 非為恐招禍辱而已也. 今曰: '不睹不聞之間, 少致其忽, 初無所害, 特恐招禍辱而後愼其獨焉', 非知道者之言也."


"喜怒哀樂之未發謂之中."
張云: "未發以前, 戒愼恐懼, 無一毫私欲."

愚謂: "未發以前, 天理渾然. '戒愼恐懼', 則既發矣."

2장.

"君子中庸."
張云: "方率性時, 戒愼恐懼, 此學者之事也. 及其深入性之本原, 直造所謂天命在我, 然後為君臣、父子、兄弟、夫婦之教, 以幸於天下. 至於此時, 聖人之功用興矣."

愚謂: "'率性之謂道', 言道之所以得名者如此. 蓋曰各循其性之本然即所謂道耳, 非以此為學者之事, 亦未有戒愼恐懼之意也. '修道之謂教', 通上下而言之, 聖人所以立極, 賢人所以修身, 皆在於此, 非如張氏之説也. 又曰: '深入性之本原, 直造所謂天命在我', 理亦有礙. 且'必至此地, 然後為人倫之教, 以幸天下', 則是聖人未至此地之時, 未有人倫之教; 而所以至此地者, 亦不由人倫而入也. 凡此皆爛漫無根之言, 乃釋氏之緒餘, 非吾儒之本指也."

張云: "'率性之謂道', 未離本位; '修道之謂教', 不可以離不離名之也."

愚謂: "言'性有本位', 則性有方所矣. 聖賢言性, 似不如此. 假如其説, 則前章云'率性所以求中', 言求則是自此求彼, 非離本位而何? 至於以修道為聖人之功用, 則又曰: '不可以離不離名之', 蓋其説有所不通, 而駸駸乎遁矣."

7장.

"人皆曰予知."
張曰: "人皆用知於詮品是非, 而不知用知於戒愼恐懼. 使移詮品是非之心於戒愼恐懼, 知孰大焉?"

愚謂: "有是有非, 天下之正理; 而是非之心, 人皆有之, 所以為知之端也. 無焉則非人矣. 故'詮品是非', 乃窮理之事, 亦學者之急務也. 張氏絶之, 吾見其任私鑿知, 不得循天理之正矣. 然斯言也, 豈釋氏所稱'直取無上菩提, 一切是非莫管'[13]之遺意耶? 嗚呼, 斯言也! 其儒釋所以分之始與!"

8장.

"囘之為人."
張云: "顔子戒愼恐懼, 超然悟未發已發之㡬於喜怒哀樂處, 一得天命之性所謂善者, 則深入其中, 人欲都忘, 我心皆喪."

愚謂: "'超然悟未發已發之幾', 中庸無此意也. 喜怒哀樂, 莫非性也; 中節則無不善矣. 不知更欲如何得之, 而又如何深入其中也? 若此則是前乎此者, 未得此性而常在性之外也耶? 且曰: '我心皆喪', 尤害於理."

張云: "人第見其'拳拳服膺', 而不知顔子與天理為一, 無一毫私欲横乎其間, 不識不知, 我已且無有矣."

愚謂: "此言蓋欲極意以諛顔子而無所準則, 不自知其言之過也."

11장.

"惟聖者能之."
張云: "予嘗求聖人而不可得, 今乃知止在喜怒哀樂未發處爾."

愚謂: "有道者見理平常, 其言雍容閒暇而理致自遠, 似不如此之駭遽而張皇也."

12장.

"君子之道費而隱."
張云: "由戒愼恐懼以養喜怒哀樂, 使為中為和, 以位天地、育萬物."

愚謂: "喜怒哀樂之未發, 乃本然之中; 發而中節, 乃本然之和, 非人之所能使也. '天地位焉, 萬物育焉', 亦理之自然. 今加'以'字而倒其文, 非子思之本意矣. 此乃一篇之指要, 而張氏語之輒有差繆, 尚安得為知言哉?"

張云: "<中庸>無止法, 故聖人有所不知不能. 自謂知能, 止矣."
又曰: "君子之道所以大莫能載, 小莫能破, 以其戒愼恐懼, 察於微茫之功也."

愚謂: "<大學>之道, 在知所止, 蓋無止則高者過,卑者陷, 非所以為中庸矣. 聖人固未嘗自謂知能, 然非此章之指也. 蓋所謂'不知不能'、'莫能載'、'莫能破', 皆極言道體之無窮爾, 非謂聖人而言, 亦無'察於微茫'之意也."

張云: "戒愼恐懼, 則未萌之始, 已致其察. 至於'鳶飛魚躍', 而察乃在焉."
又曰: "上際下蟠, 察無不在, 所以如鳶飛魚躍, 察乃隨飛躍而見焉."

愚謂: "<中庸>引此詩, 以發明道體之無所不在, 所謂'費而隱'也. 明道、上蔡言之已詳, 子思復生, 不能易也. 張氏之云, 不亦異乎! 且曰: '未萌之始, 已致其察', 則是'有事焉而正之'也."

張云: "顧惟此察始於戒愼恐懼以養中和, 而喜怒哀樂未發、已發之間, 乃起而為中和."

愚謂: "'起而為中和', 如之何其起也? 此豈知中和者之語哉?"

13장.

"君子以人治人, 改而止."
張云: "'人'即性也, 以我之性覺彼之性."

愚謂: "詳經文, 初無此意, 皆釋氏之説也. 且性豈有彼我乎? 又如之何其能以也?"

張云: "使其由此見性, 則自然由乎中庸, 而向來無物之言、不常之行, 皆掃不見跡矣."

愚謂:"'見性', 本釋氏語, 蓋一見則已矣. 儒者則曰: '知性', 既知之矣, 又必有以養而充之, 以至於盡. 其用力有漸, 固非一日二日之功, 日用之際, 一有懈焉, 則幾㣲之間, 所害多矣. 此克己復禮之所以為難, 而曾子所以戰戰兢兢, 至死而後知其免也. 張氏之言與此亦不類矣. 然釋氏之徒, 有既自謂見性不疑, 而其習氣嗜欲無以異於衆人者, 豈非恃夫掃不見迹之虚談, 而不察乎無物不常之實弊以至此乎? 然則張氏之言, 其淵源所自蓋可知矣."


"忠恕違道不遠."
張云: "恕由忠而生, 忠所以責己也. 知己之難克, 然後知天下之未見性者不可深罪也."
又曰: "知一己之難克, 而知天下皆可恕之人."

愚謂: "'恕由忠生', 明道、謝子、侯子蓋嘗言之. 然其為説, 與此不相似也. 若曰: '知一己之難克, 而知天下皆可恕之人', 則是以己之私待人也, 恕之為義本不如此. <正蒙>曰: '以責人之心責己則盡道; 以愛己之心愛人則盡仁; 以衆人望人則易從.'[14] 此則物我一致, 各務循理而無違矣. 聖賢之言自有準則, 所謂'以人治人'者, 雖曰: '以衆人望人', 然亦必曰: '道不遠人', 則所以為衆人者亦有道矣. 以己不能克其私, 而并容他人使之成其惡, 則是相率而禽獸也, 其為不忠不恕, 孰大於是!"


"所求乎子, 以事父未能也."
張云: "子事父、臣事君、弟事兄、朋友先施之皆曰求者, 蓋所以致其察也. 察子之事父, 吾未能, 安敢責父之愛子乎?"

愚謂: "此四句當為八句, '子'、'臣'、'弟'、'友'四字是句絶處. 求猶責也. 所責乎子者如此, 然我以之事父, 則自有所未能. <正蒙>所謂: '以責人之心責己則盡道', 蓋將由是而加勉, 正身以及物, 非如上章所云'以己難克而并容他人'也. 且又曰: '察子之事父, 吾未能, 則安敢責父之愛子乎?', 則是君臣父子漠然為路人矣, 旻天之泣、<小弁>之怨, 又何謂也? 蓋其馳心高妙, 而於章句未及致詳, 故因以誤為此説. 以求為察, 亦非文義."


"言顧行."
張云: "顧者, 察也." 愚按: "上章以求為察, 固已無謂; 此又以顧為察, 尤為牽合. 大扺張氏之為是説, 得一字可推而前者, 則極意推之, 不問其至於何處與其可行不可行也. 篇内所謂'戒愼恐懼'、下章所謂'忠恕'、所謂'知仁勇'、所謂'發育峻極', 皆此類也."

14장.

"在上位不陵下"
張云君子自戒愼恐懼醖釀成中庸之道

愚謂中庸之道天理自然非如酒醴必醖釀而成也

15장.

"君子之道譬如行遠必自邇"
張云欲知戒愼恐懼之效當於忠恕卜之欲知忠恕之效當於父母卜之

愚謂此言皆牽合無理且父母至尊豈人子所以卜忠恕之物乎詳味此言可見其二本矣

16장.

"鬼神之為德"
張云天地萬物森然鬼神列于中不可違也

愚按張氏他章之説甚詳而此獨略將有所疑而不敢盡耶抑其所謂鬼神者特如世俗之論而不之究耶然詳味列字之意則以鬼神别為一物明矣豈知鬼神者之言哉

17장.

"大德必受命"
張云言此所以勉天下之為德也當始於戒愼恐懼而以位祿名夀卜德之進否

愚謂德盛則名位祿夀從之乃理之必然非姑為此言以勉天下之為德亦非使學者以是四者卜其德之進否也舜之飯糗茹草若將終身焉其受命也乃不期而自至耳豈曰卜之云乎張氏之説乃謀利計功之尤者學者一有此念存乎胷中則不可以進德矣

18장.

"無憂者其惟文王乎"
張云戒愼恐懼則無適而不在中和中其無憂也必矣中和之中自當有賢父聖子又曰武王之舉危道也 愚謂凡此類皆牽合而此數句尤疎濶無理又以武王之舉為危道則是聖人行險以徼幸也是豈知順天應人之為安哉

19장.

"郊社之禮禘嘗之義"
張云不知先王居於何地乃知天神自郊求地示自社求人鬼自禘嘗求哉

愚謂先王所以知此以其理而已矣不煩更為竒怪之説

20장.

"地道敏樹"
張云布種下實未及頃刻〈云云〉

愚謂雖天下至易生之物亦未有下種未及頃刻而發生者此可見其矜竒欲速之心矣

"故君子不可以不修身止不可以不知天"
張云戒愼恐懼深致其察所以知天也

愚謂戒懼致察既知天而事天之事也未能知天則何所戒懼乎

張云推知天之心以知人推知人之心以事親

愚按推知天以知人猶之可也推知人以事親不亦悖乎伊川先生曰不知人則所與或非其人所由或非其道而辱身危親者有之故思事親不可以不知人此論不可易也

   "所以行之者一也及其知之一也及其成功一也"
張曰知而未能行是未能運用此誠也

愚謂知而未能行乃未能得之於已豈特未能用而已乎然此所謂知者亦非真知也真知則未有不能行者且曰運用此誠亦非知誠者之語蓋誠則無為而成初不煩運用矣

張云行知仁勇者誠也而所以知此誠者非他物也亦即誠也所以行此誠者非他物也亦即誠也此聖人極誠之所在而指之也又云誠字雖同而行知仁勇之誠不若知誠之誠為甚明知誠之誠不若行誠之誠為甚大也

愚按經文所以行之者一也與及其知之一也及其成功一也兩句立語命意不同張氏似誤作一例讀之故其為説如此文義猶不暇通而遽欲語其精㣲此其所以失之也且所謂誠者一而已矣今乃裂而三之又於其中相與自為優劣蓋不窮天理無所準則而逞其私智逆探幽深横鶩捷出必極其所如往而後已則安得不至於是乎然推其本原則生生化化見見聞聞之緒餘也

"好學近乎知力行近乎仁知恥近乎勇"
張云近之為言以不遠也不遠即在此而已第知所以好學者誰所以力行者誰所以知恥者誰則為知仁勇矣見於言語文字者皆近之而已惟人體之識所以體者為當幾而明即事而解則知仁勇豈他物哉

愚謂上章既言達德之名恐學者無所從入故又言其不遠者以示之使由是而求之則可以入德也聖人之言淺深遠近之序不可差次如此張氏以為不遠者是矣而又曰即在此而已何其言之相戾也蓋其所以為説者牽之以入於荒唐繆悠之中其勢不得而自已爾夫好學力行知恥在我而已又必求其所以如此者為誰而後為至則是身外復有一身心外復有一心紛紛乎果何時而已耶設使果如其言則所謂誰者一而已矣聖人復何用虛張三者之目使學者徒為是多方以求之耶詳求聖人之意决不如是特釋氏之説耳此章之指惟吕博士之言淵慤有味庶幾得之張氏之徒蓋以為淺近而忽之矣然豈知其言近指遠真得聖賢之意也與

"凡為天下國家有九經"
張云如其知仁勇則亦不期於修身尊賢親親敬大臣體羣臣子庶民來百工懷諸侯柔遠人矣又曰九經以次而行皆中其㑹矣

愚謂如張氏之云則九經皆剰語矣聖人之道所以異於異端者以其本末内外一以貫之而無精粗之辨也故子思於九經反復三致意焉而張氏忽之如此蓋每事欲高於聖賢一等而不知憑虚失實秖其所以為卑也

"凡事豫則立"
張云欲學者養誠於平日也

愚謂先立乎誠則無不豫矣非謂豫養誠也既誠矣則何豫養之云乎

"不誠乎身矣"
張云世之論誠者多錯認專為誠夫至誠無息專非誠也以專為誠則是語言寢處應對醻酢皆離本位矣

愚謂專固不足以盡誠然遂以無息為誠則亦誤矣蓋惟至誠為無息非因其無息而命之以誠也離本位之言聖人無有已辨於前矣然專亦豈遽離本位哉

張云世之行誠者類皆不知變通至於誦孝經以禦賊讀仁王以消災

愚謂聖賢惟言存誠思誠未嘗言行誠蓋思之既得存之既著則其誠在己而見於行事者無一不出於誠謂之行誠則是已與誠為二而自我以行彼誠之為道不如是也如此者其失不但不知變通而已若曰所行既出於誠則又不可謂之行誠而亦無不知變通之理張氏之言進退無所據矣至於誦孝經以禦賊蓋不知明理而有迂愚之蔽以是為行誠而不知變通然則張氏之所謂誠亦無以異於專矣讀仁王經者其溺於邪僻又甚不得與誦孝經者同科矣

張云格物致知之學内而一念外而萬事無不窮其終始窮而又窮以至於極盡之地人欲都盡一旦廓然則性善昭昭無可疑矣

愚按格物之學二先生以來諸君子論之備矣張氏之云乃釋氏看話之法非聖賢之遺㫖也吕舍人大學解所論格物正與此同愚亦已為之辨矣

張云注之於身則身誠注之於親則親悦注之於友則友信注之於君於民則獲上而民治

愚謂明乎善則身自誠乃理之自然身誠則親自悦由是以至於友於君於民皆然乃積盛充實而自致耳今曰注之而然則是設之於此射之於後而冀其必然也其為不誠莫大於是

張云誠之所在擊觸轉移

愚謂至誠積於中而事物應於外理之常也然豈若是其驚遽暴疾哉

張云安得不想孔子孟子再拜以謝其格言乎

愚謂觀此氣象甚矣其粗鄙而輕浮也

"博學之審問之愼思之明辨之篤行之"
張曰博學者戒愼恐懼非一事也〈問思辨放此〉

愚謂戒愼恐懼乃篤行之事非博學之謂也

21장.

"誠明明誠"
張云由上智之自得而合乎聖人之教者性也由遵聖人之教而造乎上智之地者教也上智自得而不合於聖人之教則為異端矣

愚謂張氏於誠明之説蓋未嘗深考而為此説以合其素論觀其自處傲然已在誠明之域矣然謂上智自得而有不合於聖人之教者則未知其所得果何事也且所謂異端者復誰謂乎夫豈不自知其已失身於此而故為是言者是乃所謂改頭換面陰子而陽擠之將以自蓋其迹而幸人之不疑已其為不誠莫大於是以是心而語中庸不亦戾乎〈大哉聖人之道章云荒唐夢幻之學其意亦猶是也後不復重出矣〉

22장.

"惟天下至誠為能盡其性〈止〉天地參矣"
張云此誠既見己性亦見人性亦見物性亦見天地之性亦見

愚謂經言惟至誠故能盡性非曰誠見而性見也見字與盡字意義逈别大率釋氏以見性成佛為極而不知聖人盡性之大故張氏之言每如此

23장.

"其次致曲"
張云禮樂射御書數中直造乎誠之地也

愚謂直造乎誠則非致曲也

張云變者此誠忽然而有倐然而無

愚謂誠若如此何以為物之終始乎

24장.

"至誠之道可以前知"
張云既前知之則以誠造化轉移變易使禍為福妖為祥亡為興蓋無難也

愚謂至誠之道非可以者以之則非誠矣夫轉禍為福易災為祥以太戊高宗之事觀之則理固有是然不如是之易也是以古之聖賢遇災而懼嚴恭祗畏以正厥事猶不敢庶幾其萬一故曰瞻仰昊天曷惠其寧豈曰轉移變易而無難哉然此章之指初亦不為是發也

25장.

"不誠無物"
張云吾誠一往則耳目口鼻皆壞矣

愚謂誠無人我之别不必言吾無彼此之殊不必言往耳目口鼻亦豈有一旦遽壊之理哉此章之説諸先生言之悉矣以彼觀此得失可見

"君子誠之為貴"
張云誠未足貴誠而又誠之斯足貴也

愚謂聖人言天下之理無出於誠而曰誠未足貴何其言之悖也且既誠矣以為未足貴而又誠之乃足貴則前之所謂誠者無乃為棄物與蓋緣本不知誠而惟恐其言之小故其言每如此且誠者天之道豈亦未足貴必待誠之者人之道乃足貴耶雖至愚有以知其不然矣

26장.

"至誠無息"
張云不見形象而天地自章不動聲色而天地自變垂拱無為而天地自成天地亦大矣而使之章使之變使之成皆在於我又曰至誠不息則有不見而章不動而變無為而成天地又自此而造化之妙矣

愚詳經意蓋謂至誠之理未嘗形見而自彰著未嘗動作而自變化無所營為而自成就天地之道一言而盡亦不過如此而已張氏乃以為聖人至誠於此能使天地章明變化於彼不惟文義不通而亦本無此理其曰天地自此而造化語尤險怪蓋聖人之於天地不過因其自然之理以裁成輔相之而已若聖人反能造化天地則是子孫反能孕育父祖無是理也凡此好大不根之言皆其心術之蔽又原於釋氏心法起滅天地之意正蒙斥之詳矣

27장.

"尊德性而道問學〈止〉敦厚以崇禮"
張云自戒愼恐懼而入入而造於發育峻極之地而不敢己則行乎三千三百之中而道問學矣尊德性而不敢己則又變而為致廣大〈此下不敢己者三又變而為者三〉知新崇禮又致廣大極高明之變名也

愚按此皆言體道成德之目無不敢已而又變之意變名之説亦無義理

張云豈有一豪之變怪以驚眩天下之耳目哉

愚按張氏之書變怪驚眩蓋不少矣猶以為無有不知更欲如何乃為變怪驚眩哉

28장.

"吾從周"
張云周法已弊其過多矣孔子身非輔相不在尊位所以不敢輕議妄論而曲意以從周之法度也

愚按孔子言周監於二代郁郁乎文哉吾從周則其從周也亦有道矣非不得已而妄從之也若末世之弊有如拜上之泰則不盡從矣其不得不從者是亦義理之所在斯誠然而從之以為曲意而從非聖人之心也張氏歸心乎釋氏而曲意於儒者故其所以窺聖人者如此非一辭之失也其所從來遠矣

29장.

"君子未有不如此而蚤有譽於天下者也"
張云夫如此指何事而言哉即予所謂戒愼不睹恐懼不聞也

愚按張氏戒愼恐懼二句横貫中庸一篇之中其牽合附㑹連章累句已不容一一辨正矣至於此章經文所謂如此乃上文君子之道本諸身以下耳張氏欲成其前説乃近舍本章上文之義遠指戒愼恐懼於數千字之前未論義理之當否而豈言語文字體勢之常哉故特論此一章尤疎漏處以見其餘之皆此類也

30장.

"此天地之所以為大也"
張云論至於此則夫子蓋未嘗死也觀乎天地此亦夫子之乾坤也

愚按孔子言文王既没文不在兹乎未嘗言文王之不死也然言近㫖遠其味無窮所以為聖人之言也不死之云變⿰忄⿱ス土 -- 怪駭人而實無餘味故程子有言立言當涵畜意思不使知德者厭無德者惑正為此耳

여씨대학해吕氏大學解

吕氏之先與二程夫子遊故其家學最為近正然未能不惑於浮屠老子之説故其末流不能無出入之𡚁按正獻公神道碑載公進讀上語及釋老虗寂之㫖公曰堯舜雖知此乃以知人安民為急此其所差之端也堯舜之道精粗本末一以貫之其所知者似與釋老不相似也以為所知在此而所急在彼是二本也本原如此則其末流之弊豈可勝道哉今論其一二以補其闕蓋其他説之近正者則君子猶有取焉

"知所先後則近道矣"
吕氏曰異端之學皆不知所先後考索勤苦雖切而終不近故有終始為二道本末為兩端者

愚謂此言似為釋氏發然吕氏終身學焉不知以誰為異端而為是説以詆之耶蓋其心未必不以為有先後者世間之粗學而無先後者出世間之妙道兩者初不相為謀雖並行而不相悖也方其言此故不得不是此而非彼及其為彼則又安知其不是彼而非此哉彼其陽離陰合自以為左右采獲而集儒佛之大成矣曾不悟夫言行不類出入支離之為心害而莠亂苗紫奪朱之患又將無所不至也此蓋原於所知在此所急在彼之意而其失又甚焉近世之言道者蓋多如此其誤後學深矣

"致知在格物物格而后知止"
吕氏曰致知格物修身之本也知者良知也與堯舜同者也理既窮則知自至與堯舜同者忽然自見黙而識之

愚謂致知格物大學之端始學之事也一物格則一知至其功有漸積乆貫通然後胷中判然不疑所行而意誠心正矣然則所致之知固有淺深豈遽以為與堯舜同者一旦忽然而見之也哉此殆釋氏一聞千悟一超直入之虚談非聖門明善誠身之實務也其與前章所斥異端之學不知所先後者又何以異哉

吕氏曰草木之微器用之别皆物之理也求其所以為草木器用之理則為格物草木器用之理吾心存焉忽然識之此為物格

愚按伊川先生嘗言凡一物上有一理物之微者亦有理又曰大而天地之所以高厚小而一物之所以然學者皆當理㑹吕氏蓋推此以為説而失之者程子之為是言也特以明夫理之所在無間於大小精粗而已若夫學者之所以用功則必有先後緩急之序區别體驗之方然後積習貫通馴致其極豈以為直存心於一草木器用之間而與堯舜同者無故忽然自識之哉此又釋氏聞聲悟道見色明心之説殊非孔氏遺經程氏發明之本意也嚮以吕氏之博聞彊識而不為是説所迷則其用力於此事半而功必倍矣今乃以其習熟見聞者為餘事而不復精察其理之所自來顧欲置心草木器用之間以俟其忽然而一悟此其所以始終本末判為兩途而不自知其非也舊見吕氏晩年尺牘數語有足以證成此義者因系之于後并為之説云

吕氏曰聞見未徹正當以悟為則所謂致知格物正此事也比來權去文字專務體究尚患雜事紛擾無專一工夫若如伊川之説物各付物便能役物却恐失涉顢頇爾吕自注云其意以為物不可去事不可無正當各任之耳

愚謂以悟為則乃釋氏之法而吾儒所無有吕氏顧以為致知格物之事此其所以誤為前説而不知其非也若然則又安得獨以不知所先後者為異端之病哉若由吾儒之説則讀書而原其得失應事而察其是非乃所以為致知格物之事蓋無適而非此理者今乃去文字而專體究猶患雜事紛擾不能專一則是理與事為二必事盡屏而後理可窮也終始二道本末兩端孰甚於此則未知吕氏所體所究果何理哉伊川之説正謂物各有理事至物來隨其理而應之則事事物物無不各得其理之所當然者如舜之舉十六相去四凶也此其所以不為物之所役而能役物豈曰各任之而已哉如曰任之而已則是漫然不察其是非可否而一切聽其所為也如此則能不為物之所役者鮮矣顧舍其顢頇而謂人顢頇豈不惑哉

하호의 발문

先王之世一道德同風俗故天下之大人無異言家無異學豈復知有異端之害哉及周之衰正道陵遲禮壞樂崩夫子憂之乃緒正六經以明先王之教當是時異端雖不能無猶未有以名家者也及夫子没世道益衰狂僭之士見聖人之有作也遂各逞其聰明競立異説以自名於世顧與正道並馳而爭勝於是天下之人耳目眩瞶而莫知適從矣然諸子百家雖各主其説而其為害則有淺深如老莊之虚浮人固知其無著申韓之刑名人固知其少恩皆不足以惑人也惟楊墨之學假仁義以為名而實為仁義之害惑人之尤深者也故孟子起而閑先聖之道舍諸子而獨闢楊墨以正人心息邪説距詖行放淫辭使天下若醉而醒夢而覺然後正道廓如也噫孟子以來千有餘載儒者溺於詞采實不見道徒辨楊墨之非至身為楊墨則不自覺徒惡楊墨之害至躬蹈楊墨則不自知况敢冀其有孟氏之功乎夫浮屠出於夷狄流入中華其始也言語不通人固未之惑也晉宋而下士大夫好竒嗜怪取其侏離之言而文飾之而人始大惑矣非浮屠之能惑人也導之者之罪也今有人於此詭衣冠而談空無衆必止而詬之一旦有貴顯名譽之士亦從而效尤則人皆眙愕改觀未論其事之是非且以其人而信之矣幾何其不胥而為夷狄哉此有識之所甚憂而永歎也二蘇張吕豈非近世所謂貴顯名譽之士乎而其學乃不知道德性命之根原反引老莊浮屠不經之説而紊亂先王之典著為成書以行於世後生既未有所聞必以其人而尊信之漸染既深將如錮疾可不哀乎新安朱元晦以孟子之心為心大懼吾道之不明也弗顧流俗之譏議嘗即其書破其疵繆鍼其膏肓使讀者曉然知異端為非而聖言之為正也學者苟能因其説而求至當之歸則諸家之失不逃乎心目之間非特足以悟疑辨惑亦由是可以造道焉故余三復而樂為之書云

乾道丙戌孟冬晦日臺溪何鎬謹跋


기의記疑

偶得雜書一編, 不知何人所記. 意其或出於吾黨而於鄙意不能無所疑也. 懼其流傳乆遠, 上累師門. 因竊識之, 以俟君子考焉. 淳熙丙申三月乙卯.


先生言於上曰先聖後聖若合符節非傳聖人之道傳聖人之心也非傳聖人之心也傳己之心也己之心無異聖人之心廣大無垠萬善皆備欲傳聖人之道擴充此心焉耳

愚謂此言務為高遠而實無用力之地聖賢所以告其君者似不如是也夫學聖人之道乃能知聖人之心知聖人之心以治其心而至於與聖人之心無以異焉是乃所謂傳心者也豈曰不傳其道而傳其心不傳其心而傳己之心哉且既曰己之心矣則又何傳之有况不本於講明存養之漸而直以擴充為言則亦將以何者為心之正而擴充之耶夫進言於君而其虚夸不實如此是不惟不能有所禆補而適所以啓其談空自聖之弊後之學者尤不可以不戒也

某初見先生即誨之曰人之所以靈於萬物者何也謂之心如何是心謂之性如何是性宜思之

愚謂此固窮理之事然非所以語初學者

某問楊文靖公云聞之伊川不偏之謂中不易之謂庸如何先生曰是非先生之言不然則初年之説也昔伊川親批吕與叔中庸説曰不倚之謂中其言未瑩吾親問伊川伊川曰中無倚著某未達先生曰若説不倚須是有四旁方言不倚得不倚者中立不倚也

愚謂不偏者明道體之自然即無所倚著之意也不倚則以人而言乃見其不倚於物耳故程子以不偏名中而謂不倚者為未瑩今以不倚者之未瑩乃欲舉不偏者而廢之其亦誤矣

問要看喜怒哀樂未發才看便是已發如何見得中曰且只靜觀

愚謂此問甚切惜乎答之不善也蓋曰靜觀則固為已發而且與之為二矣程子使人涵養於未發之前而不使人求中於其間其㫖深矣

問伊川先生答鮮于侁之問曰若顔子而樂道則不足為顔子如何曰心上一毫不畱若有心樂道即有著矣

愚按程子之言但謂聖賢之心與道為一故無適而不樂若以道為一物而樂之則心與道二而非所以為顔子耳某子之云乃老佛緒餘非程子之本意也

自得處豈得分毫進若見則便見明道云才説明日便是悠悠學者拈起一處思量須是要便見若悠悠即玩矣若未有見又且放過

愚謂學固欲其自得而自得誠不可以分毫論然欲其自得則必其積累漸漬然後有以浹洽而貫通焉爾孟子所謂深造之以道者此也今欲自得而責其便見則無乃狂躁急迫之甚且未知其所見者又果何事也耶程子之言乃因學如不及而言初不為見處發也又曰若未有見又且放過則其進退遲速無所據矣其誤後學亦甚矣哉

到恍然神悟處不是智力求底道理學者安能免得不用力

恍然神悟乃異學之語儒者則惟有窮理之功積習之乆觸類貫通而黙有以自信耳

問未見天下歸仁且非禮勿視聽言動當自有見否曰固是然要便見天下歸仁進學在致知涵養在敬不可偏廢

愚按天下歸仁程子述孔顔之意亦曰天下皆稱其仁而已乃謂躬行實履之效非語其見處也必若以見處言則如問者之言猶為未遠而所謂須要便見者則其狂躁而迫切也甚矣進學涵養乃程子語然程子所謂致知正欲其即事窮理而積累貫通非欲其恍然神悟而便見天下歸仁也

問思慮紛擾如何曰人心本無思慮多是憶既往與未來事

愚謂心之有思乃體之有用所以知來藏往周流貫徹而無一物之不該也但能敬以操之則常得其正而無紛擾之患今患其紛擾而告以本無則固不盡乎心之體用且夫本無之説又惡能止其紛擾之已然哉

問浩然之氣塞乎天地之間曰孟子且如此説耳論其洞達無間又豈止塞乎天地而已哉

愚嘗深患近世學者躐等之弊發言立論不問其理之當否而惟恐其説之不高今讀此書乃知前輩之言既有以啓之者矣養氣之説學者且當熟講其方而實用力焉至於事皆合義而無不慊於心則是氣浩然充塞天地蓋不待言而自喻矣今不論此而遽為浩蕩無涯之説以求出乎孟子之上其欺已而誣人亦甚矣哉

知性即明死生之説性猶水也

愚謂性即理也其目則仁義禮智是已今不察此而曰知性即明死生之説是以性為一物而往來出没乎生死之間也非釋氏之意而何哉

某問如何是萬物皆備於我先生正容曰萬物皆備於我某言下有省

愚觀古今聖賢問答之詞未有如此之例其學者亦未有如此遽有得者此皆習聞近世禪學之風而慕效之不自知其相率而陷於自欺也

學者須是下學而上達〈云云〉

愚謂此理固然然未嘗告以下學之方而遽為此説便有使人躐等欲速而不安於下學之意

某人自言初疑逝者如斯夫每見先達必問人皆有説以相告及問先生則曰若説與公只説得我底公却自無所得某遂心服一二年間才見即問先生但曰理是如此其後某人有詩云云至此方有所得

愚謂川上之歎聖人有感於道體之無窮而語之以勉人使汲汲於進學耳然先儒不明其所感之意故程子特發明之而不暇及乎其他傳者不深考遂以聖人此言專為指示道體而發則已誤矣今若以其正而言之則問者本無可疑而告者但當告以汲汲進學之意若循其誤而言之則學者每見必問才見即問其躐等甚矣告者乃不之抑而反引之於恍惚不可測知之境其凌節亦甚矣且某人者自謂有得而所為詩語乃老佛陳腐之常談而已惡在其有得耶

或問儒佛同異先生曰公本來處還有儒佛否

愚謂天命之性固未嘗有儒佛也然儒佛是非之理則已具矣必以未嘗有者為言則奚獨儒佛也固亦未嘗有堯桀也然堯之所以為堯桀之所以為桀則豈可以莫之辨哉今某子之言乃如此是欲以夫本來無有者混儒佛而一之也此禪學末流淫遁之常談俗學之士從風而靡有不足怪獨某子自謂親承有道而立言如此則為不可解耳

或問立則見其參於前在輿則見其倚於衡先生曰參前倚衡非有物也謂之無則不可某人亦有詩云參倚前衡豈易陳只今便了乃相親昔人求劒尋舟跡大似子張書在紳

愚謂孔子答子張以忠信篤敬而有參前倚衡之説蓋欲其力行二語造次不忘若曰坐見於牆食見於羮云耳而近世説者展轉怪妄至於如此亦可歎巳且其所謂只今便了乃相親者竊取異學鄙俚之常談可羞甚矣乃敢下視前賢肆其譏侮不亦無忌憚之甚哉

或云天下歸仁只是物物皆歸吾仁先生指窻問曰此還歸仁否或人黙然某人有詩云大海因風起萬漚形軀雖異暗周流風漚未狀端何若此處應須要徹頭

愚按天下歸仁説已見前今且以所謂物物皆歸吾仁者論之則指窻之問亦應之曰此若不歸吾仁則必無故而戕敗之矣大凡義理莫不如此皆有體驗之實若但如此詩之説則近世禪學之下者類能言之豈孔顔所以相傳之實學哉

顔子聞天下歸仁又問克己之目請事斯語所以游泳此理也

愚謂天下歸仁者克己之效問目請事乃其用功之實也某子之言失其序矣

問盡心知性知天是知之存心養性事天是養之先生曰不然昔嘗問伊川造得到後還要涵養否伊川曰造得到後更説甚涵養盡心知性知之至也知之至則心即性性即天天即性性即心所以生天生地〈此言天之形體〉化育萬物其次則欲存心養性以事天

愚按問者之言於孟子之文義得之矣某子所引程子之言乃聖人之事非為衆人設也程子所謂造得到者正謂足目俱到無所不盡耳而某子乃獨以知之為説而又通之衆人豈其本發問之時所謂造得到者已如今之所謂而程子不之察耶若使程子於此如孔子於子張之問達也則所以告之者必不然矣又云心即性性即天天即性性即心此語亦無倫理且天地乃本有之物非心所能生也若曰心能生天之形體是乃釋氏想澄成國土之餘論張子嘗力排之矣

先生之門人甲有詩云誰道堅高不易知生來頃刻未嘗離乙答之云若道堅高不易知須知此語已成非饒君向知此端的未免猶為我與伊先生以乙之言為是

愚按堅高云者顔子形容夫子之道不易窺測之辭爾非有一物頑然而堅嶢然而高也今甲已失之而乙又甚焉且皆儇淺無稽絶不類儒者氣象某子乃不以甲為非而又以乙為是亦不可曉也已

각주

  1. T17n0842 <大方廣圓覺修多羅了義經> 第1卷 「善男子!彼之眾生幻身滅故幻心亦滅,幻心滅故幻塵亦滅,幻塵滅故幻滅亦滅,幻滅滅故非幻不滅;譬如磨鏡垢盡明現。... 善男子!一切菩薩及末世眾生,應當遠離一切幻化虛妄境界,由堅執持遠離心故,心如幻者亦復遠離,遠離為幻亦復遠離,離遠離幻亦復遠離,得無所離即除諸幻。譬如鑽火兩木相因,火出木盡灰飛煙滅;以幻修幻亦復如是,諸幻雖盡不入斷滅。」(선남자여! 저 중생은 환신이 멸하기 때문에 환심 또한 멸하고, 환심이 멸하기 때문에 환진 또한 멸하며, 환진이 멸하기 때문에 환이 멸하는 것 또한 멸하고, 환이 멸하는 것마저 멸하기 때문에 환이 아닌 것만이 멸하지 않는다. 비유하자면 거울의 때를 갈아내면 빛이 드러나는 것과 같다. ... 선남자여! 모든 보살 및 말세의 중생은 응당 모든 환화/허망한 대상을 멀리 떠나야 하니, 멀리 떠나려는 마음을 굳게 잡고 있기 때문이다. 마음이 환 같다면 이 또한 다시 멀리 떠나야 하고, 멀리 떠나는 것도 환이니 이 또한 멀리 떠나야 하며, 멀리 떠나는 것을 떠나는 것 역시 환이니 다시 멀리 떠나, 떠날 바가 없게 된 것이 곧 뭇 환을 없앤 것이다. 비유하자면 불을 붙일 때 두 나무가 서로 인이 되고, 불이 붙고 나무가 타버리면 재가 날리고 연기가 식는 것과 같으니, 환으로 환을 닦는 것도 또한 이와 같아, 뭇 환이 비록 다하더라도 단멸에 빠지지 않는다.)
  2. <도덕경> 8장. 上善若水。水善利萬物而不爭,處衆人之所惡,故幾於道。
  3. <공총자> <공손룡> 公孫龍又與子高氾論於平原君所,辨理至於臧三耳。公孫龍言臧之三耳甚辨析。子高弗應,俄而辭出。明日復見。平原君曰:「疇昔公孫之言,信辨也。先生實以為何如?」答曰:「然。幾能臧三耳矣,雖然,實難。僕願得又問於君。今為臧三耳、甚難而實非也。謂臧兩耳、甚易而實是也。不知君將從易而是者乎?亦其從難而非者乎?」平原君弗能應。明日,謂公孫龍曰:「公無復與孔子高辨事也,其人理勝於辭,公辭勝於理。辭勝於理,終必受詘。」(공손룡이 또 자고와 평원군의 처소에서 이것저것 논의하고 있었는데, 논리를 따지다 '장삼이(양의 귀가 셋이다)'에 이르렀다. 공손룡은 '장삼이(양의 귀가 셋)'이라고 설명을 매우 잘했다. 자고는 대답하지 못하고 있다가 잠시 후에야 말을 꺼냈다. 이튿날 다시 만났는데, 평원군이 말했다. "어제 공손룡의 말솜씨가 정말 대단했소. 선생은 솔직히 어떻게 생각하셨소?" 자고가 대답했다. "그렇습니다. '장삼이(양의 귀가 셋)'라고 잘 떠든 것 같습니다만, 사실은 어렵습니다. 제가 군께 다시 여쭤보고 싶습니다. '장삼이(양의 귀가 셋)'라고 설득하는 것은 매우 어렵지만 실제로도 틀렸고, '장량이(양의 귀가 둘)'라고 말하는 것은 매우 쉬우면서 실제로도 맞습니다. 잘 모르겠습니다만, 군께서는 쉽고 맞는 것을 따르시겠습니까, 아니면 어렵고 틀린 것을 따르시겠습니까?" 평원군이 대답하지 못했다. 이튿날, 평원군이 공손룡에게 말했다. "공은 앞으로 공자고와 변론하지 마시오. 그자는 말보다 논리가 뛰어나고, 공은 논리보다 말이 뛰어나오. 논리보다 말이 뛰어나면 결국에는 반드시 말문이 막히게 될 것이오." - <여씨춘추> <심응람> <음사>에도 같은 내용의 글이 보인다.
  4. <예기> <예운> 體魄則降,知氣在上.
  5. <춘추좌전> 소공7년. 其用物也弘矣,其取精也多矣,
  6. <예기> <제의> 宰我曰:「吾聞鬼神之名,而不知其所謂。」子曰:「氣也者,神之盛也;魄也者,鬼之盛也;合鬼與神,教之至也。眾生必死,死必歸土:此之謂鬼。骨肉斃於下,陰為野土;其氣發揚于上,為昭明,焄蒿,凄愴,此百物之精也,神之著也。因物之精,制為之極,明命鬼神,以為黔首則。百眾以畏,萬民以服。」
  7. 소철, <道德眞經註> <絶聖棄智章第十九>
  8. <논어> <술이> 23. 子曰:「二三子以我為隱乎?吾無隱乎爾。吾無行而不與二三子者,是丘也。」
  9. <중용장구> 20장. 天下之達道五,所以行之者三,曰:君臣也,父子也,夫婦也,昆弟也,朋友之交也,五者天下之達道也。
  10. 소철, <道德眞經註> 予年四十有二謫居筠州, 筠雖小州而多古禪刹, 四方遊僧聚焉. 有道全者住黄糵山南, 公之孫也. 行高而心通, 喜從予遊. 嘗與予談道, 予告之曰: “子所談者, 予於儒書已得之矣.” 全曰: “此佛法也, 儒者何自得之?” 予曰: “不然. 予忝聞道. 儒者之所無, 何苦强以誣之? 顧誠有之而世莫知耳.” 全曰: “儒佛之不相通, 如胡漢之不相諳也. 子亦何由知之? 試爲我言其略.” 予曰: “孔子之孫子思, 子思之書曰<中庸>, <中庸>之言曰: ‘喜怒哀樂之未發謂之中; 發而皆中節謂之和. 中也者, 天下之大本也; 和也者, 天下之達道也. 致中和, 天地位焉, 萬物育焉.’ 此非佛法而何? 顧所從言之異耳.” 全曰: “何以言之?” 予曰: “六祖有言: ‘不思善、不思惡, 方是時也, 孰是汝本來面目?’ 自六祖以來, 人以此言悟入者太半矣. 所謂’不思善、不思惡’, 則喜怒哀樂之未發也. 蓋中者, 佛性之異名; 而和者, 六度萬行之總目也. 致中極和而天地萬物生於其間, 此非佛法何以當之?” 全驚喜曰: “吾初不知也, 今而後始知儒佛一法也.” 予笑曰: “不然. 天下固無二道, 而所以治人則異. 君臣父子之間, 非禮法則亂; 知禮法而不知道, 則世之俗儒, 不足貴也. 居山林, 
木食澗飲而心存至道, 雖爲人天師可也, 而以之治世則亂. 古之聖人, 中心行道而不毁世法, 然後可耳.” 全作禮曰: “此至論也.” 是時予方解<老子>, 每出一章, 輒以示全. 全輒歎曰: “皆佛說也.” 予居筠五年而北歸, 全不乆亦化, 去逮今二十餘年矣. 凡<老子解>亦時有所刊定, 未有不與佛法合者. 時人無可與語, 思復見全而示之. 故書之<老子>之末. 大觀二年十二月十日, 子由題.
  11. T48n2008 <六祖大師法寶壇經> 第1卷. 惠明作禮云:『望行者為我說法。』惠能云:『汝既為法而來,可屏息諸緣,勿生一念。吾為汝說。』明良久。惠能云:『不思善,不思惡,正與麼時,那箇是明上座本來面目?』惠明言下大悟。(혜명이 예를 표하고 말했다. "행자께서는 저를 위해 설법해주십시오." 혜능이 말했다. "그대가 이미 법을 위해 왔으니, 모든 연을 끊고서 일념도 낳지 말라. 내 그대를 위해 설하겠다." 혜명이 한참 가만히 있자, 혜능이 말했다. "선도 생각지 않고 악도 생각지 않는 바로 그때 무엇이 혜명 상좌의 본래면목인가?" 혜명은 말이 끝나자마자 크게 깨달았다.
  12. <한서> <동중서전> 臣聞命者天之令也,性者生之質也,情者人之欲也。
  13. T47n1998A <大慧普覺禪師語錄> 第19卷 昔李文和都尉, 參石門慈照聰禪師, 悟臨濟宗旨, 有一偈曰: "學道須是鐵漢, 著手心頭便判. 直取無上菩提, 一切是非莫管." 妙哉斯言! 可以為光明種子發機之助也."
  14. <정몽> <中正篇第八> 以責人之心責己則盡道,所謂「君子之道四,丘未能一焉」者也;以愛己之心愛人則盡仁,所謂「施諸己而不願,亦勿施於人」者也;以衆人望人則易從,所謂「以人治人改而止」者也;此君子所以責己責人愛人之三術也。